青べか物語の街も今では通勤至便なベッドタウン
東京駅直結の大手町駅から地下鉄東西線快速電車で僅か16分で来られてしまう東京に最も近い千葉県の街「浦安」。かつては江戸前のあさりや海産物がバカスカ採れる広大な浅瀬が広がる地域で「青べか」と呼ばれる船が行き交うベタな漁師町でもあったが、昭和44(1969)年に東西線が開通してから急速にベッドタウン化が進んだ土地になっている。
漁師町だった頃の浦安をモチーフにした小説、山本周五郎「青べか物語」の時代を知る世代は少なくなったのだろうが、それでも旧江戸川沿いを見ると海苔屋やあさり加工工場、釣船屋があったり、境川西水門の船溜まりなどが残っていたり、駅の近くには浦安魚市場もあったりで、漁師町の面影がそこかしこに残っているのである。
しかし現在の浦安の街並みを見ると、旧市街地の中心商店街である「堀江フラワー通り」などの一部地域を除けば退屈なベッドタウンそのものといった光景が広がるばかりである。
東西線沿線東側地域特有の無味乾燥感がつまらないと感じる人も居れば、都心から近いのに住所が千葉県になるので家賃がお安く有り難いと感じる人もいるだろう。そしてディズニーランドがある浦安だからとわざわざ選んで住むようなキラキラ系女子もいるあたりがこの街独特の特殊事情でもある。まあ、東西線浦安駅から5キロくらい離れてるんですけどね。
「風が吹けば京葉線が止まる」という諺がある通り、京葉線不通時には新浦安・舞浜住民やディズニー客が東西線に流れ込み大混雑を引き起こす事もあるので注意が必要である。しかもここは千葉県なので都バスも浦安橋の先まで乗り入れず、都県境の壁に苦しむ事もあるだろう。
漁民のDNAが染み付いた土着高齢者のオアシス「浦安魚市場」
どうせ浦安あたりなんて新興住宅地だろうと高をくくっていたら面食らってしまうのが浦安駅近くにある「浦安魚市場」。東西線開通後の昭和46(1971)年に現在地に移転する以前、昭和初期からの歴史がある地元の魚市場で、漁業権を手放しても昔の暮らしが忘れられない土着住民の買い物場所として現役で営業している。市場で販売されている鮮魚類は主に築地市場から取り寄せたものだ。
さらに市場の北側に北口商店会があり、それがご覧の通りの激渋レトロな佇まい。ここも市場関係者や土着民の溜まり場になっていそうなラーメン屋や乾物店、キムチ専門店などが軒を連ねており、次に市場の東側を見るとやれた佇まいのスナック街が広がる。東西線開通前後で全く街の役割が変わってしまった浦安ならではのコントラストか。
液状化被害が甚大だった浦安市。しかし元町地域に被害なし
現在の浦安市は地元民によって「元町・中町・新町」の三地域に分けて考えられている。そのうち土地が埋め立てられる前からあったのが東西線浦安駅を中心とする「元町」で、猫実、堀江、富士見、当代島、北栄といった住所がそれに当てはまる。それ以外の地域は全て埋立地である。
2011年3月の東日本大震災では浦安市の中町、新町に属する埋立地で広範囲に渡って液状化被害が発生し新浦安住まいのマリナーゼが涙目になっていたのが記憶にも新しいが、元町地域はそうした被害とは無縁だった。どのみち海抜ゼロメートル地帯であるには変わりがないが、埋立地かどうかという点は「元町」に属するかどうかで見分けが付く。
浦安駅が快速停車駅だけあって駅近くは地価が高いが、逆に徒歩10分以上掛かる場所や富士見あたりまで行くとやたらお安くなるのが特徴。元から居る住民も気性の荒い元漁師だったり新住民の質も隣が江戸川区だったりする事を考えれば決して柄の良い街とは言えない。この辺はディズニー大好きキラキラ女子一同は要注意である。