駅前に闇市の名残り、田都沿線の異端児、通称「ドブノクチ」
おセレブぶった方々が多く住むとされる東急田園都市線の沿線の中でも、川崎市高津区に属する三駅だけは例外。つまり二子新地、高津、溝の口の三駅を指すわけだが、ここいらは多摩川沿いの低地にあって川崎らしいド下町っぷりを晒している「南武線文化圏」だ。しかし東急線とJR線の乗換駅でもあり全列車停車駅である溝の口は川崎市において武蔵小杉と並ぶ「副都心」と位置づけられており、駅前にはノクティだの何だの商業施設が多数鎮座する。
東急溝の口駅とJR武蔵溝ノ口駅の間は「キラリデッキ」と称するペデストリアンデッキで直結しており多数の通勤通学客が往来する。それから家賃の安い津田山だの久地といった南武線沿線住民もここから都心とを行き来するわけだ。しかし田都名物のラッシュの混雑を避けるべく、一部の乗客はここから並走する大井町線を利用するケースも多い。
パッと見では整備された駅前風景が目に付き悪印象もさほどしない溝の口駅前だが、元々からこの沿線に住む古い土着民の間では“ドブノクチ”と呼ばれるほどの場所。戦後のドサクサで出来た闇市を引きずるかのような飲食街もあれば、駅前にはドブを埋めたような暗渠のグネグネした路地が走っている。“溝”の字も確かに「ドブ」と読めるし、読んで字の如し、とはまさにこの事か。
ドブノクチご自慢「溝の口駅西口商店街」健在なり
ノクティの反対側、西口に降りると溝の口という街の正体が早くも判明する。その名も「溝の口駅西口商店街」。まさに駅前一等地に鎮座する「戦後のドサクサ」闇市上がりの商店街であり、川崎の母なる川・二ヶ領用水から分岐する「根方十三ヶ村堀」の暗渠の上に築かれた、キング・オブ・ドブノクチ的存在である。ちなみにこの写真は2010年に撮影したものだが、未だに当地に残っている。
2007年2月にこの商店街で大規模な火災が起き、バラック商店街の半分近くが焼失してしまった。その焼け跡はドブの上を不法占拠していた曰く付きの物件だったこともあって早々に川崎市当局によって撤去されてしまったが、南武線寄りの一画はまだこの通り。煤けた昭和の佇まいを今の世に残している。ある意味奇跡的。そして夕方過ぎれば仕事帰りのサラリーマンが一杯やるような飲み屋が赤提灯を下げる「いつもの川崎」っぷり。
溝の口駅北側の住民にとっては、この闇市上がり商店街が駅に続く一番の近道とも言える。薄暗い路地を抜ければそこには南武線が地べたを走るいつもの光景が見られる。下町好きなら心安らぐ風景だろうが、田都沿線をわざわざ選んで住んでいるような「金妻マダム」的人種にとっては眉をしかめるしかない町並み。当然ながら溝の口を避けて梶が谷から先に続く高台の住宅地にしか住む事もなかろう。