韓流バブルも弾けて再び暗黒街へ回帰するのか
新宿駅のお隣、言わずと知れた日本最大のコリアタウン「新大久保」。今でこそ韓流観光地として積極的に手が加えられ、若い女性や韓流大好きオバチャンが街を闊歩するようになり雰囲気が明るくなったが、それもここ数年内の事。
元々この街はうらびれた元ドヤ街でもあり、ロッテ新宿工場や寄せ場でもあった西戸山公園付近に労働者が集い、戦後のドサクサでバタヤ稼業を営む貧困層が寄り添う元スラムでもあり、そして今なお連れ込み宿が多数路地裏に潜んでおり夜な夜な闇に溶け込むよう街頭に立ち尽くす外国人のお姉さんも多数。まさに「暗黒街」と呼べるに相応しい要素が揃っている街なのだ。
そのような場所だったので、昔から韓国人に限らず様々な国籍を持った人々も抵抗無く地域に受け入れられ、巨大な外国人コミュニティと化している。実際新宿区の外国人人口率の高さを殆どこの地域でカバーしている。狭く暗い路地にボロアパートが多く、斡旋する不動産業者も外国人を対象としたものが多い。また歌舞伎町徒歩圏のため水商売関係の住民も多い。
大久保通り、職安通り、イケメン通りの韓流ショップ群
現在の新大久保を象徴するものと言えば、数多ある韓流ショップや韓国料理店の数々である。2002年の日韓共催ワールドカップやその後の「冬のソナタ」ブームを発端に、この地域では「韓流観光地」として注目が集まるようになり、韓国からもビジネスチャンスを求めて多くの業者が進出、出店ラッシュに湧き2012年頃まで活況が続いていたが、李明博前大統領の竹島上陸を発端に日韓関係が悪化すると右翼団体のヘイトスピーチデモの標的にもなりブームはたちまち終息。バタバタと韓流ショップが潰れる結果になった。
しかし「韓流の街」として終わったという訳でもなく今も大久保通りや職安通りには韓国ソウルの明洞あたりを彷彿とさせる「あっちの繁華街」的ノリの派手派手しい町並みが連なり、道行く人々の会話は韓国語が飛び交うなど、まあ相変わらずのコリアタウンぶりなのである。
新大久保駅前の大久保通りが最も象徴的なメインストリートで「韓流の原宿」といった雰囲気だが、大久保通りの南側、歌舞伎町との境を並行する職安通り沿いも非常に多くの韓国系店舗が軒を連ね、ドンキホーテまでハングル表記だったりするが、韓流ショップ大手「韓流百貨店」が満を持してオープンした新店舗がたちまち撤退した跡に出来たのが中国人爆買い観光客を対象とした免税店になっていて、店の看板にはハングルと中国語が両方見かけられる。今となっては韓国よりも中国の方が元気らしい。
人身事故の犠牲者も美談に…新大久保駅で見る日韓関係を象徴する光景
JR新大久保駅構内にはこのようなプレートが掲げられている。2001年1月26日、酔っ払ってホームから線路上に転落した男性客を救助するために線路に降りた日本人カメラマンと韓国人留学生の2人、両名の「勇敢な行為」を称える為に記されたとある。
この事故では線路上に居た3人とも死亡してしまったが、過密都市東京では酔っ払った乗客が線路上に転落しての人身事故は決して珍しいものではなく、咄嗟の判断で救助に向かい命を落とした人々の行為は尊いものだったのだろうが、その事で最悪の結果になってしまった訳で、これが何故か美談にされ映画化(あなたを忘れない/2005年)されてしまう所に日韓関係ならではの特殊性が浮かぶ。
山手線沿線ではホームドアの設置工事が順次進んでいるが、とりわけホームの幅が狭く転落の危険性が高い新大久保駅では早々に設置が完了し、現在はこの通りの状況である。
もう一つの新大久保外国人ゾーン「イスラム横丁」とは
新大久保と聞くと「コリアタウン」としか思い浮かばないうちはまだまだこの街の奥深さを知らないという事である。新大久保駅前の大久保通りを渡った北側にある百人町文化通りは、ハングルではなくアラビア文字が書かれた看板が多数、キムチやトッポギではなく、ケバブサンドの肉の匂いが立ち込める、異国情緒半端ない風景が現れる。
この百人町文化通りが「イスラム横丁」と言われ始めたのはそれほど昔からの事ではない。外国人に抵抗のないこの土地だからこそ、韓国以外の人々も集まりだした事がそうさせたのだろう。インドネシア、ネパール、バングラデシュ、様々な国籍の住民を相手にするハラルフード専門店、ガチなムスリム系住民の腹を満たすビリヤニ専門店といったものがこの一画に密集し、挙句の果てには雑居ビルの中に「モスク」まであるという本格仕様だ。
ムスリム系観光客も増加の一途を辿る中で、今後ますます発展する余地があるように思える「イスラム横丁」、今後も目が離せない一画だ。