新宿から京王線でたったひと駅というアドバンテージ。基本下町ですけど
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東京を代表する一大ターミナル駅「新宿」から京王線でたったひと駅で辿り着ける街「笹塚」。甲州街道を隔てた両側に商店街が広がり、やたらと下町臭い雰囲気が漂っているのだが、なぜか行政区はオサレで意識の高い人種が住まう街のイメージの強い「渋谷区」に属するという不思議。駅を降りたら目の前の甲州街道を渡って、とりあえず街のメインストリートらしい「十号通り商店街」に入ると…
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これまた“SHIBUYA”らしからぬ生活感のどぎつい町並みがダラダラ~っと伸びているわけである。古臭い個人商店も紋切型のチェーン店も程よく配合されていて結構賑わいもあり雰囲気は悪くない。特に下北沢や高円寺といったサブカルこじらせ系タウンの中間地点にあることから、バンドマンや演劇関係の下積みで貧乏暮らしをする若者やら上京したての学生などにも人気が高い街、ということらしい。
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この商店街の先にある「水道道路」がかつて角筈(現在の西新宿二丁目)にあった淀橋浄水場から杉並区の和泉給水場までの四キロ余りの区間を一直線に結んでいた「玉川上水新水路」で、そこに一号橋から十六号橋まで架かっていた中で、十号橋があったというところから商店街の名が来ている。さらにここの延長線上にある十号坂商店街を抜けると杉並区方南一丁目、中野区南台四丁目に出られる。
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逆に駅の南側には「笹塚観音通り商店街」が伸びている。なんともオツな佇まいの下町商店街ではあるが、駅北側の十号通りと比べればやや賑わいは欠ける。ここも商店街を抜ければ世田谷区北沢五丁目が隣接。笹塚って「区境」の街ですよね…
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笹塚は京王線の歴史上重要なポジションを占める街である。大正2(1913)年に京王電気軌道線(当時)が笹塚から調布まで開業して以来で、かれこれ百年以上もの歴史がある。京王線は笹塚駅から都営新宿線直通で都心に向かう「京王新線」が分岐していて、京王線ユーザーにとっても重要な駅の一つである。
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駅南側にはクイーンズ伊勢丹や紀伊國屋書店が入居する「TWENTY ONE」や2015年に開業した「メルクマール京王笹塚」といた商業施設もあって、普段の買い物にも困らない。高架下の「京王クラウン街」も含めてそこそこオサレ要素も増してきた感があるが、全体的に見ても“SHIBUYA”的なアッパー感に欠けるのが特徴だ。
水道道路沿いの“万里の長城的都営住宅群”にザワつく
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こちら笹塚において特異な光景を挙げるとすると、やはり水道道路沿いにまるで万里の長城のように連なる都営住宅群を置いて他にない。玉川上水新水路は関東大震災で深刻な被害を受けた後、昭和12(1937)年には早々に埋め立てられ現在の水道道路になったのだが、その土地の大半は戦後の住宅難の問題から都営住宅が多数建設され、二駅隣の初台から幡ヶ谷を経てこのあたりまで延々と古びた都営住宅ばかりが連なる風景が見られる。
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十号通り商店街を抜けたあたりにある「都営笹塚二丁目アパート」沿いを歩くと、すべからく昭和臭満載の個人商店が見られる件。もっとシャレオツな店でも呼べばいいものを、あまり有効活用されている感がない。こういうのを見ると、やはり笹塚は基本単なるしょぼくれた下町としか思えない。まあ京王線沿線自体が地味ですよね。
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このへんの都営住宅もおおむね昭和40年代に建設されていてとっくに築50年オーバーで、壁にはストリートアートもとい“SHIBUYA”的なHIPHOP文化を体現するかのように汚らしいタギングによる落書きも目立っていて、すべからく街の景観を損ねている。まだまだポテンシャルのある土地なんだから、都政はもうちょっとこのへんの土地活用をどうにかした方がいいと思う。
その他、笹塚駅周辺の写真集
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笹塚十号通り商店街のランドマーク、昭和風情きっつい「マルイストアー」。入口の焼き鳥屋「フランキー」には芸能人のサイン色紙がいっぱい
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マルイストアー内は一部魚屋などを除けば見事に飲食街化。高円寺の大一市場みたいだ
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十号通り商店街の生き字引的食堂「綜合食堂いづみや」の昭和すぎる店構え。とっくに廃業して無くなりました
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笹塚観音通りを抜けた先にある「北沢五丁目商店街」。全く自覚ありませんがここから世田谷区のようです
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北沢五丁目井の頭通り沿いにあった伝説のボロ下宿「良忠荘」。最寄り駅は下北沢ではなく笹塚