ガチな空気が張り詰めるオールドコリアタウン
上野から常磐線に乗ると日暮里の次にあるのが三河島。常磐線の15両車両に対応しているためにやたらと糞長いホームを降りると人影はまばらで、とても都内とは思えない寂寥感漂う光景だ。古い世代には昭和37(1962)年に発生、160人が死亡した悲惨極まりない「三河島事故」で知られる場所だが、今となってはホームから見える風景には廃校になった旧真土小学校があり、毎年ここで在日コリアン祭り「統一マダン東京」が開催されている通り、東京でも屈指のガチなコリアタウンだ。
駅周辺は荒川区特有の細い路地にアパートが密集する街並みが広がり、韓国料理店や焼肉屋、朝鮮学校などわかりやすい目印がそこかしこにある。駅から東側の尾竹橋通りを渡った先、都電三ノ輪橋駅方面に連なる「荒川仲町通り」がこの地区では割と栄えている商店街である。ここもやはり韓国系の店が非常に多い。
東京最古のコリアタウンは「済州島」にルーツが
三河島は戦前より主に済州島から渡ってきた在日朝鮮人集住地として存在し、川崎おおひん地区、そして大阪の生野区や神戸の長田区に匹敵する歴史を誇る東京最古のコリアタウンである。当時から荒川区の地場産業である皮革関連産業に従事する人々が暮らしてきた街で、観光客が殺到する「韓流の原宿」新大久保とは対照的に、こちらはそんな浮き足立った人々の姿はどこにもない。
三河島の街を歩くと屋号に「済州島」の名を掲げたテジカルビ専門店があるなど、やはり三河島に暮らす「在日」のルーツが済州島である事と無関係ではないのだろう。ちなみに大阪の生野区も同じく済州島出身者が多いコリアタウンである。
西の横綱が鶴橋商店街なら東の横綱は「三河島コリアンマーケット」
三河島駅北側の尾竹橋通り沿いに、うっかり通り過ぎてしまいそうになる程に目立たない外観のガチな「日本の朝鮮」を目にする事ができる場所がある。「三河島コリアンマーケット」と呼ばれているこの市場、昭和25(1950)年からこの土地で営業をしている市場で、奥行きはそれほどでもない小さな市場ながら、その突き当たりに創業60年を越える老舗韓国食品店「丸萬商店」がある。通常の韓国食品に加えて済州島名物の海藻「モン」(ホンダワラ)も販売されているのが特徴。
その手前にある同店のキムチ工場の軒先にも、せっせとキムチ作りに勤しむアジュンマ達が忙しない様子で包丁さばきをしている姿を目にする事ができる。まんま本場韓国の市場の風景である。東京広しと言えどもこの町並みの濃さは大阪・鶴橋とサシで勝負出来そうな程だ。
また、丸萬商店の脇から裏の路地に通り抜けが出来るが、そこにもハングルで書かれた仕立屋の店舗や韓国人の氏名が記された表札を掲げる家ばかりが連なっていて、ガチなコリアタウンぶりを実感できる。